私アンドリューが興味を持った方にインタビューさせていただくシリーズ。
ディールメーカーの男性の4回目です。
ご自分の心のクセのお話と静かなる自信についてのお話をしていただきました。
物事がうまく行ったときには周りの人に還元する
物事がうまく行った・成功したときには、「自分ならできて当然」と思う気持ちがある一方、「たまたまうまく行っただけ。だれでもできること」と自分に対する戒めの気持ちを持つべきだと思う気持ちもあります。
自分だけがメリットを受けていい思いをする、ということをしないように、関わってくれた周りの人に還元していこうと思っています。
圧倒的に何かで突き抜けた経験がない=天狗になりづらい
小さいころから、様々なことに対して中途半端でした。
勉強ができるといってもクラスで一番ではないし、サッカーがそこそこうまくても、府の選抜に選ばれたわけでもない。
承認欲求は満たされているものの、しょせんこれでご飯が食べられるほどのレベルではないのだから、大したことはないという思いが強かったのです。
圧倒的に何かで勝ったという感覚がなく、常に上には上がいるという事をずっと体験してきたのです。
つまり天狗にはなりづらい。突き抜けにくいのです。
何かを一生懸命にやったことがない人は勘違いしやすく成功しやすい
スポーツとか勉強とか一生懸命やってこなかった人の方が(いい意味で)勘違いしやすいのではないでしょうか。
やってないからこそ、「やってないからできないだけでやったらできる」と思っていると思うのです。
自分はそれなりに一生懸命やってみたけれど、上には上がいる、才能がすごい人がいるということを知っているのです。
勉強もそれなりにやったけれど、生まれつきやたら頭がいい人がいるという事も知っているので、「やったけどうまく行かなかった」という経験をたくさんしています。
一方で、何も一生懸命やったことがない人は、「やっていないだけでやったらできる」という気持ちがあり、変に負け癖がついていない気がします。
そういう人は勘違いしやすい。でも、実はそれが成功の秘訣だったりすると思うのです。
自分は上には上にがいるっていうのを見てきたから、何かうまく行ったとしても、「上には上がいる」ってすぐ振り返れるので、勘違いしづらく、それはある意味まずいな…と思うわけです。
だから、つい謙虚側に振れてしまう自分を逆に持っていこうとしている部分はあります。
「負け」な気持ちを味わった経験
セルフイメージが高くなりにくい時期があるじゃないですか。
たとえば高校生になって、サッカー部入りました。
1年生のうちはTシャツに名前書いて球拾いをしているわけです。
そんな時にセルフイメージなんて高くなりにくいじゃないですか。
でも、2年生になってレギュラーになって・・・というステップを踏むわけです。
会社に入ったときも同じで、自分的にはしゃべりがうまく行くと思っていたのに、実際はまるでうまく行かず。
なんでだろ?ってなるわけです。
なんでうまく行かないんだろう?周りはみんな売れていくのに、なんでだろう?っていう時期はありました。
どん底か?って言われるとそこまでではないですけど。
まだ開花していない「潜在能力がある」とどこかで思えている
資質だと思うのですが、今現時点ですごく能力が高くないとしても、1,2年後には自分は成長して大きくなっているという、なんとなくの確信はあったのです。
今こうだとしても、絶対大丈夫だと思えたから、折れたりはしませんでした。
「能力がある」とは思っていないけれど、開花はしていないだけで「潜在能力がある」と思っていたのだと思います。
落ち込むときはもちろんありますが、自信があるという感覚ではないけれど、ベースにそれがありました。
ストレングスファインダーで「静かな自信」という資質があって、それは日本人にもグローバルにもほとんど持っている人がいないのですが、自分はそれが高く出ているのです。
でも、上には上がいると思っている人間なので、ピンとこなかったのです。
でも、周りからはものすごく出てる、と言われたのです。
「自信があるように見える」と言われたので、そんな嫌な感じなのかなと思ったのですが、そうではなくて根っこの部分に自信がある気がする、と言われたのです。
「それがあるから、説得力があるのではないか。話が分かりやすく伝わるのではないか」とも言われ、もしかしてそこが自分の強みなのかな、とつい最近思い始めました。
感じたのです。